茂原レポート(5)

2015月8月12日から17日

茂原英紀

遊草騎馬会の皆々様

ウワ~~! アキちゃんからメールが入り、『 アッ、そうだ!』 と気がつきました。
2015年のモンゴル乗馬、茂原レポートが途中で止まってしまっていることを・・・・。その理由は、複数の処理案件が競合していて、手が回らなかったからというものでした。
でも、今はそんなことを言ってはいられません。なにしろ、今日が最終日で、明日からは2016年モンゴル外乗、茂原レポートの報告をしなければならないからです。
とにかく土俵際いっぱい。もう 『うっちゃり』 以外手はないですね。とにかく、急きょレポートを再開いたします。

さてさて、草原を移動中、遊牧民のゲルに真横から遭遇したのに対し、番犬が地を這うような声で吠えたてたところまでは書きました。

すると、先導するトルさんが、すぐに左方向へとルートを変えました。私たちがそのエリアに遭遇したのは左右中間点でした。つまり遊牧民の居住区域が直径200メートルとした場合、
100メートルの地点に位置しているのですから、右に旋回しても構わないわけです。しかも、右方向はなだらかな下り坂、左方向は丘に通じるなだらかな登り坂という条件からしても。この位置で、ゲルは右手に2棟並んで設置されており、犬はそのゲルの陰から唸り声を発しているのであることから、当然左に道を求めるのは自然の理に適っています。
しかしただそれだけの理由なのだろうかと考えてみました。というのは、これまでにも似たような状況に直面したことがあるがその場合、左に回る方が圧倒的に多かったのです。このことは後記の状況に出会ったときにも確認できた事であります。そのゲルを迂回してからはギャロップ、速足、並足で進むこと約1時間、ほどなくして野に放たれている馬の集団に出くわしました。
私たちが近づくにつれて、明らかに警戒している様子が見て取れる。そうかといって、逃げるそぶりもない。見慣れない集団だなと思っているのであろうか、近寄られた馬は小走りに少し逃げるだけ。とそのとき、集団の中ほどに小さな小さな仔馬が1頭混じっているのが確認された。よく見るとへその緒が40センチほどの長さでぶら下がったままになっているが、元気に母馬に寄り添って小走りについていく。
永田さんがしきりにシャッターを切っていた。トルさんが言うには、生まれて30分ぐらい経過したところだろうとのこと。そのとき気が付いたのだ、仔馬は常に母馬の左側にぴったりついている。 母馬は私たちの出現に興奮したのか少し速度を上げたため仔馬を引き離してしまった。さりとて、遠くまで駆けていくわけではなく、安全を確認すると並足になる。すると仔馬が追いついてまた母馬に寄り添う。
それが必ず左側なのである。そんなことを4~5回繰り返すのを眺めていた。仔馬が引き離されて右側に位置どりされても、必ず左側に回り込んで母馬の左側に寄り添う、これはいったい何がそうさせるのだろうか。

このことについて、もう40年も昔になろうか、ある記事を読んだことが思い出された。確かコーネル大学(アメリカ)の研究チームがリスザルを使った実験で確認できたことであるが、母ザルが子ザルを抱っこするとき、必ず顔を左側にして抱くことに気づきなぜそのようにするのかを研究したのである。その結果人間でも動物でも心臓は左側にあること、つまり心音を聴かせることによって子供は安心感と安定感が得られるそうである。ということは、子ザルでも仔馬でも人間でも、そのことを本能的に知っており、必然的に左側に寄り添うのであろうと推測できる。動物が初めて音を耳にするのは胎児のときに聞く母親の心臓の鼓動であろう。それが潜在脳に刷り込まれ、うまれ出てからも母親の心音を心のよりどころとして必然的に求めるのであろうと。人間が自転車に乗ってカーブを曲がるとき、ほとんどの人が左に曲がる方が楽であるという。これは、右利きの人ばかりでなく左利きの人もそうであるようであるが、これと心音との関係はあるのだろうか? その母子馬の様子を見ながらそんなことをつらつらと考えていた。

今回の旅では、魚釣りをすることがメイン計画に組み込まれていた。そのためにトルさんがモンゴルの釣りの名人という方を伴ってくださった。釣り場までは車で移動した。草原の中をひた走りに走り、とある川にたどり着いた。川の流れは右から左に流れている。良いポイントを求めてしばらく川下へ移動したが、それらしき場所が見当たらないので、向こう岸に渡るという。なおも下流に向かって進むこと小一時間、前方に木橋が見えてきた。川幅はさほど広くない。おおよそ20メートくぐらいである。木橋には欄干などはなく、丸太を並べて作ったような即席橋であった。この橋を車で渡る気か? 途中で崩れたらどうなるのだろうとの心配もつかの間、ジョローチ(運転手)はどんどん車を前進させる。橋の中ほどまで来たとき、右手に3頭の馬が川の浅瀬に入っているのが目に止まった。そのとき、中の1頭がやにわに尾を持ち上げたと思うやフンをし始めた。それが何を食べたのか半端ではない下痢である。みるみる川の色が染まっていくのが確認できた。すぐにでも正露丸を飲ませてあげたくなるような状態である。でもその馬は ”何か問題がありますか?” というようなそぶりでエンジン 音を轟かせた車が通りすぎるのを眺めていた。
かくしてほどなく釣り場に到着した。皆持参した釣り具を出して一斉に釣りを始めた。エサは疑似餌によるリール釣りである。それをしないのは女性陣と伊藤さん、茂原の四人である。この4人は最初から釣り道具をもってきていない。
私は、仮設テントでごろ寝、伊藤さんは岸辺でゆったりとグラスを傾けてる。酒のラベルを見ると 『くろうま』 、どこまでも馬を愛する人である。ひとしきりまどろんだ後、皆さんの釣果を見てみたが、全員が残念であった。
その日は川べりで簡易テント泊、夜のとばりが下りてくると、だんだん冷えてきた。とにかく寒い。真夜中に起きて震えながら持参した衣類を手当たり次第身にまとい寝袋の中でじっと耐える他なすすべがない。ところが、その寒さの中でトルさんと釣りの名人の姿が忽然として消えていた。この寒い中をどこへ行ったのだろう、と思う。ところが、朝になって戻ってきた二人の姿を見て驚いた。なんと手には体長60センチほどの魚を4匹下げているのである。
話によると、更に良い釣り場を求めてポイントを探り、夜を徹して釣っていたとのことである。この寒い中でよく頑張れたものと感心するばかりであった。魚の種類はマス科の淡水魚であり、朝食は早速塩焼き。腹を裂き、塩を詰めてアルミホイルに包み熾火の中においての蒸し焼きである。上空には大きなワシが2羽飛来して弧を描きながらこの様子を観察している。そのとき突然その1羽が急降下し、マスを1尾をわしづかみにして天空へと舞い上がった。ほんの瞬時の出来事である。
トルバットさんが腹を裂いて取り出した魚の内臓を草原に投げたところ、他の1羽が急降下しそれをさらって飛び去って行った。残った魚の2尾を蒸し焼きにして、残る1尾はスープにした。だが、そのスープの水は・・・・、言わずと知れた川の水を使ってである。
あの下痢の馬が垂れ流した川の水をである。しかし、モンゴル大草原では、人も馬も同族であり、まさに人馬一体そのものである。その日は美味しいマスの塩焼きと、馬糞の混じった・・・・????川の水で調理した美味なマスのスープを存分に賞味した。

さてさて、まだまだ書きたいことは」山ほどありますが、明日の準備も未だ残っているのでこのあたりまでといたします。2015年モンゴル外乗も様々な体験をすることができました。これも、皆さま方のお支え、トルさんのご尽力のおかげです。本当に感謝です。
結びに、お別れパーティーについて少しふれておきます。今回はゲストにトルさんの奥さまと、トルバットさんの奥さまが共に参加してくださいました。二人とも別嬪さんで、清楚な感じのする方です。参加した遊草騎馬会のメンバーからいろいろと質問も浴びせられて大変だったでしょうが、全く動じることなく受け答えされて、とても好感の持てる方でした。両ご夫妻とも幸せそうで、とりわけトルバットさんの嬉しそうな笑顔が印象的でした。とても幸せそうで、両ご夫妻に幸多かれと祈るひと時でした。
                                                    擱筆

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